パンデミックが初まってから約一年半が経過した。僕の住んでいるバイロンベイ周辺ではパンデミックが初まった最初の2ー3ヶ月は皆シビアに事の流れを見ながら生活をしていた。オーストラリア政府がかなり早い段階で国境を完全封鎖をしたのが功を制したのか、都市を除いた地域ではその後、約一年ほど感染者はほぼ皆無だった。都市から多くの人達がこの機会に田舎に新しい生活を求めて引っ越しをしだした。バイロン周辺では家の数が限られているので、土地や家賃が急激に上がってしまった。国外に旅行に行ける事もなくなった。幸い、ここオーストラリアは美しいビーチが無数にあり、世界的に見ても有数のサーフィン大国だ。コロナ前よりも子供から大人まで老若男女を問わず皆サーフィンに費やす時間が増えた。波も良い日が多かった。サーフボードもたくさん売れて僕の友達のシェイパー達は大忙しだった。オーストラリア国内の多くの旅行者がバイロンを訪れ飲食業界も大繁盛。リフォームなどの建設業も盛んに行われている。大きなイベントこそ無いものの、マスクをしている人など誰一人居ないし、実際はわからないが僕の周りでは経済が良く回っていた。コロナバブルって言葉が出てきたくらいだ。同時代の世界の情勢とはかけ離れたかの様なライフスタイルを送っていた。ところが2ヶ月ほど前からシドニーで感染者が急増し始めた。シドニーはそれからロックダウンに入った。しばらくして特に影響の無かったバイロン周辺に感染者が出てしまい、遂にはここもロックダウンになってしまった。皆コロナへの緊張感がほぼ無かった為、ショックを隠しきれないのと同時に新しいロックダウンのルールに馴染めずにもいる。そんな中、オージー・ライトから連絡が入った。彼の家の前にファンウェーブが割れているらしい。オージーは息子のロッキーとサーフィンをする所だった。ビーチに出るとその異様な光景が目に入った。その日は日曜日で天気も良く暖かったのだが、規制中にもかかわらずビーチにはまるでホリデー気分かの様に多くの人達が押し寄せてとても賑やかだった。そのビーチはとてもローカルなエリアで普段はほとんど人がいないだけに驚いた。ロックダウンにはなったものの、自分も含めて皆まだ事の重大生を認知していなかった様にも思えた。ロックダウンと言う社会の生み出した非現実な世界と目の前に広がるビーチリゾートの様な現実の世界のギャップは異様な雰囲気でしかなかった。僕はこの日初めてオージーと息子が一緒にサーフィンをしているシーンが撮れた。それは僕がずっと撮りたかった絵だった。案の定、その日は近くのビーチで何人かの人達がルールを破ったと言う事で罰金を払うことになったらしい。